聞くは一時の恥、知らぬが仏

年末年始の休みと言っても、ダラダラと長時間酒を飲んだり、いつもは保育園で元気いっぱい遊んでいる娘がずっと家に居たり、行きなれない所に行って気を遣ったりと、普段より疲れちゃうんじゃないかという研究結果もある。そしてようやく通常営業に戻ろうかとする日キッカリに娘と二人して具合が悪くなり、熱は38.6まで上がり、発熱外来にも行ったが陰性で「風邪です」と言われたので、病院の薬を飲んで腰が痛くなるほど丸一日寝続けたらなんとか復活した。しかしさっき晩飯を作り終えて、食べる前にフーっと一息調子に乗って、空きっ腹に炭酸水をゴクゴクと飲んだら、病み上がりには刺激が強かったのか、胃が急激に痛くなり、いつもは山盛り3杯(茶碗がめちゃくちゃ小さい)は白米を食べるのだが、1杯の途中で横になってしまった。いくら髪の毛を茶色くして学生に「学生かと思いました」とか言われようとも、しっかりと35歳である。昔は父親が何故焼酎をお湯で割って飲んでいるのか分からなかったし、母親は麦茶に何故氷を入れないのか分からなかった。でも今ならハッキリと分かるし、自分もそうしている。わかる事はだいたい、良いけど、わかりたくなかったような気もする。

免許を取って1年が経って、初心者マークが車から剥がれた。車のボディにやんわりと初心者マークの水シミが出来てしまい、あ〜あという気持ちもあるが、初心忘れるべからず的な方向でポジティブに捉えようとしている。結構運転しているので、まぁそこそこ慣れてきたが、全然深刻ではないにしても、レンタカーを含めて3回擦った。2回は駐車時に、1回は細い道を曲がる時に、どれもゆっくりと慎重ではあったけど、結果曲がりきれていなくて、駄目だったパターン。どれももちろん後悔しているが、原因の大半は「焦り」だと思う。時間がない、後ろから車が来ている、遅いなと思われている、見られている、ここで合ってるのか不安である、大丈夫なのか不安である。みたいな事が重なって判断が鈍っていく。解決策としてはそれはもう「焦らない」一択である。どんなに邪魔になろうとも、そう簡単に車は突っ込んで来ないし、道を間違ってもまたゆっくりとナビが迂回の道を示してくれるだろうし、もし間違ったムーブをしてしまっていたとしても、死ぬよりはマシである。安全第一というのは本当で、正面から逆走車が猛スピードで走ってきたら、ガードレールに優しく突っ込むのが正解になってしまう時だってあるだろう。

とは言うものの、やっぱりちょっと遅れそうな時とかに、いつもなら停まるようなタイミングの黄色信号を突破してしまったり、いつもならもっとゆっくり曲がる左折をグ~ンと行ってしまったり、いつもなら執拗に確認する信号なし横断歩道をさっぱりめに通過してしまったりするだろう。それじゃ駄目なのである。と思ってその水シミを見つめながら初心忘れるべからず的な精神を呼び起こしていきたいというrepriseなんです。

でもさ、本当に思うのは、マジでちゃんと走ってる車ってほぼ居ないよね。昔は免許も持ってなかったから知らなかったけど、制限速度15キロくらい超えないと流れに乗れない道とかあるし、前にちょっとでも隙間あれば走行車線から追い越しガンガンされるし、ちょっと分かりづらい専用レーンだったりすると線がオレンジでも車線変えてくし、とんでもないところでハザード炊いてみーんな停車してる。あと自転車もすごい。夜に脇道からトラップのように飛び出してくるし、車道の左を走ってると思ったら、後ろも見ずに例の謎停車している車を避けて中央線くらいまで瞬間移動してきたりもする。そんなのに最初はイライラしてたけど、でももうやめた。どんなに苛つかれようが、俺はそんなに速く走らないし、危なそうな自転車とか歩行者が居たら本物の徐行というものを見せてやる。曲がり角はゆっくり曲がるし、本当に遅れちゃいけない時はめちゃくちゃ早めに出るか、電車で行く。四方八方に注意しながら、流れる景色を楽しみつつ、安全に運転する。ものすごいスピードで危険に追い抜いていく車は、両親が危篤で急いでいるんだと思うと、全く別のシーンに変わる事を発見した。

知らない事を知るという事には良い面もあれば悪い面もあるし、良い面もある。良い面を注視して快適なドライヴ、そして快適な人生を!人生!