君はそう決めた

 

毎年誕生日に人間ドッグ行くぞ!誕生日プレゼントで!と思い続けはするものの、健康診断でさえ大学生の時に受けて以来10年受けていなかったので、とりあえず一番軽めな区民検診というのに初めて行ってみた。500円で受けれる。安い。今日結果を聞きに行ったのだが、体脂肪率がややアレとかはありつつも、とりあえず尿酸値というのが爆高(ばっこう)[©グモング]で、このままだと痛風になるので食事に気をつけてください、水分を沢山摂りましょう、お酒も控えましょう、医者に行ってください。という定番の宣告を受けた。そのまま居酒屋に直行して生ビールをやりたいところではあったが、帰りにスーパーでブロッコリーとほうれん草とご飯に混ぜる雑穀と特茶を真面目に買って帰った(これらは尿酸値には関係なく、普通に食生活アドバイザーみたいな人に言われた食材を鵜呑みにして買った)

 

情報化社会、何でも鵜呑みにしてはならない!と思いながら、栄養に詳しいおばちゃんからの情報を鵜呑みにしてしまった。まぁそんなこと言ったって最初だけだし、すぐに忘れてまた仕事終わりに深夜にラーメンとビール…なんて今想像しつつ、タンブラーに注いだ水で薄めた特茶をすすりながら文章を打っている。どうせ最初だけ…と思いながら色んな事を諦めてきたように思う。今はパッと思い出せないのでそんなに無いかもしれない。でもこれからも本当にそうだろうか。というか、決心してその日からまるっきり変わる人なんて要るんだろうか。またゆっくりと戻ってきてしまう心を、なにかわざときっかけを作ってとどまらせてなんとかセーフ的圏内に抑え続けたりするんじゃないのだろうか、知らんけど。「知らんけど」は無敵というか、敵を無くす魔法の語尾である。

 

酒。酒が無かったら今の人生は無かったし、納得している。酒は良い。けど、納得したからもう使わない人生、というのを想像したりもする。町田康さんのしらふで生きるという本を読み始めたけど、まだ読み始めなので核心にはたどり着いていない。昔の日記で、決心の練習のためにタバコを辞めると書いた。あれから相変わらず習慣的には吸ってはいないが、もらったりたまに買ったり、時と場合によって吸ったり吸わなかったりしている。その事を区民検診のアンケートに書いたら、変なおじさんの医師から「俺、そういう考え方大好き、問題なし!」みたいに言われて、「?」と思ったけど、面倒くさかったのでありがとうございます、と言って退室した。

 

前水泳にでも行くか、って書いたけど水着も買っていない。今日は食生活を正すために毎日その日使う食材を少しずつスーパーまで歩いて買いに行けば運動になるし、意識的な食生活になるんでは、と思いついた。アイデアは生まれるが、それを形にするのが難しいし、そここそが、みたいなの、なんでも一緒だなと、今思った。

 

何もしなくても疲れる事もあれば、ずっと何かをし続けても疲れない事もある。疲れてもめちゃくちゃ嬉しい事も、楽だけど辛くて仕方ない事もある。色々ある、知らんけど。健康とか、保険とか、そういう所帯じみた話しし始めたら終わりだよ〜って、俺たち、もう終わっちまったのかな?いや、まだ始まってもいないっていうキッズ・リターンの終わり方、海外の人と日本の人の捕らえ方が真逆らしい。どっちとも取れる、って良い、映画の結末なら。日常会話だと、ややこしい。