気持ちがグーッとなってくるとブログの投稿画面を開き、色々文章を打つ事が最近多い。大抵シャワーを浴びている時にふつふつと何か思い立ち、タオルを首にかけた状態で何か書き始めるのだが、すぐに言葉に詰まったり、何度か打ち直しているうちに面倒臭くなって下書きに放り込む。そんな下書きは後になって読むと意外と良い…なんていう事にはならず、ああ公開してないで良かった、となるし、公開してあるものに関してはどんなに中途半端でも、自分が読み返すに値するものになっているなと思う。それは内容の質によってというのももちろんあるけど、それが公開されているものであるという理由も大きいと思う。そこから感じるのは、何か作ったりしたら、ある程度まとめて公開してしまった方が良いという事である。いや、そう一概には言えない。そこから感じるのは、一概には言えないという事である。いや、一概に言える事もたまにはある。そこから感じるのは、一概に言えるという事である。

 

映像の仕事をするようになってもう10年近くになる。と書くと客観的に見るとすごいような気もするが、自分的にはまだ知らないことがありすぎて、部外者のような意識が常にある。映像の会社に居たこともあったが、僕一人別の仕事をしていたので、先輩も後輩も居なかったからかもしれない。

 

すごくヤバい時、悪い意味でヤバい時。例えばうんこが漏れそうな時、漏らした事がある人は結構慎重というか、早い段階でトイレを探すと思うけど、結構厳しい状況でもなんだかんだ漏らしてこなかった人は、意外とまぁなんとかなるでしょ、フッとトイレ現れるでしょ、みたいに行動すると思う。仕事がヤバい時とかの対処もそう。俺はなんだかんだ漏らしてこなかった側の人間。

 

税金とか、年金とか、保険とか、生きているだけでお金がめちゃくちゃかかる。普通に考えて、まぁこれだけ色々公共の設備が整っているという事を考えれば、色々納めなくちゃいけないのはわからなくもないんだけど、結構頑張ってるのに、なんか余裕とかがそれに釣り合ってないなぁと思う。

 

一日は同じ時間なのに、やろうと思えば北海道まで日帰りで行けたりするし、ネットの1巻だけ無料マンガを読み続けるだけで終わらせる事も出来る。優劣じゃないけど、すごい。

 

過ぎた事は過ぎていて、もう終わっているので、自分の頭の中にしか存在していないのに、それにとわられる時って、あるのもすごい。あと未来の事にも。これは最近誰かが言ったり書いてた事の記憶です。すごい自己啓発じみてる「自己啓発じみてるー!」って言って、なんか真面目っぽい事を茶化すのも良くないけど、ついそんな感じに思ってしまう。その逆を行こうとすると、完全オリジナル思想で、感覚に従って生きていきまっす!みたいになって、ヤサイニンニクマシマシで!になってしまうので、極端に欲望に忠実になるのも違う。カオス&バランス。アンダーカバーの掲げている言葉は正しい。

 

前に星野源さんの本を立ち読みした時に、細野晴臣さんにインタビューをしている所があって、そこで星野さんが細野さんに対して、最近どんな音楽聴いていますか?と質問をしていた。それに対して細野さんは「最近はお休みしているんだよね」と書いていて、心から「わかる〜」というか、「それ、アリなんだ」と思って安心をした。何かを好きでいるという事に、少し強迫観念があるというか、自分で自分に対して、厳しいというか、それはオタク気質があったり、それに憧れを感じている人にありがちだと思うけど、そういうのがあった。今も、ある。で、それが何故か辛いときがある。その自分が好きでいるべきものに対して、愛があるという事が証明できる行為を、習慣に出来ていない事に負い目を感じるという事。その気持ちがすごく楽になった言葉だった。やはり細野さんはすごい。立ち読みだけど。星野源の本だけど。星野源さん、サブスクリプション解禁になってからよく聴いている。Family Songのシングルだけ前から持っている。あれは名曲だ。なんかあの曲の元になっているのが、バナナマンの日村さんの誕生日に贈った曲が元になっているらしいのだが、そういった遊びというか、偶然のように出来たものがああやって、シングルになって莫大な人に届く形でリリースされているという形もすごくて、純粋だと思った。スナップ写真みたいに。

 

純粋が偉い、みたいな事を言うとその弾が自分に帰ってくる。だいたい偉そうな事を言うと全部自分に帰ってくる。帰ってくる覚悟がある偉そうな事はどんどん言っていこう。ちなみに純粋は偉くないし、偉いのが良いわけでもない。偉いはそういうジャンルに属しているだけ。

 

そこそこ古めのアパートの白熱灯の明かり。くもりガラスにカーテンレールに干した洗濯物がもたれ掛かっていて、少しカラフルな服の色が透けて見える。そんな窓を見ていると、その家に憧れをもったりする。そんな小さな部屋の中で起こりうる、最良のシナリオを想像まではしていないけど、なんかぼんやりとそういう世界が頭の中に浮かぶ。たぶんそのドアを開ければ、パチンとその世界は消えて、そこにはただの部屋がある。世界の部屋はきっとただの部屋であるからして、そのただの部屋をいい部屋にしていくのは想像ではなく、自分の行動でしかない。いい部屋ネット。

 

「ひいき」はいけない。

贔屓

《名・ス他》

自分の気に入った者に目を掛け力を添えて助けること。
 
すごく良いことのようにみえる。し過ぎるのはいけない気がする。なんでもそう。カオス&バランス。
最近はこの曲ばかり聴いている。