やらない勇気

大学って勉強しにいくところですが、なんか結局友達を作りに行ったみたいっぽいみたいな話よく聞きますが、最近になってもよく思い出す大学の授業の話を、朝風呂に入りながらまた思い出していたので書きます。

ドローイングというひたすら膨大な絵を描かされて瀕死になる授業があり、その授業の中で支持体、要は書く紙とかキャンバスにあたるものから自分で作って、でっかい絵を完成させるという課題がありました。まぁ雑誌とかチラシとかそういう古紙をボンドでガチガチに張り合わせていって、切ったり破いたり、バランスを取りながら描きつつまた貼り足したりっていう、要は支持体と絵の境界がない、その辺の概念をどうにかしなさいよっていう感じの授業だったんだと思います。

僕は絵が苦手かつ、ひどく面倒くさがりだったのでさっさと適当な厚さにまで紙を重ねて貼っていき、別の授業で余ったプラスチックの板を抽象的な女性の顔にくり抜き、ストリートよろしくな感じでバーっとステンシルでそれを反復させてオーワリ!みたいな感じにしました。製作期間も終盤に差し掛かり、暇なので他の課題とかをやっていたのですが、なんとなく作品を見ていると、やっぱりちょっと簡素すぎるのかな、怒られるかな、という不安が襲ってきました。なので真ん中あたりにあった凹みに、濃く溶いたマーブルカラーの絵の具を流して、このストリートのゴミのみたいな表層の下には、美術っぽい感じのものが隠れてるんだぜみたいな感じに繕いました。

講評の日、先生が一人ずつ公開処刑のように一つ一つ作品に評価を下していきます。僕の作品はまぁ見回っている時に見られていたので、ステンシル良いね、潔いよね、みたいに言ってたのでそんな感じかなと思ったら、その流した絵の具について、全然要らないし無い方が良い、美術にしないといけないとビビったからこういう事をするんだ、最悪。みたいな事を言われました。

どうしてもなんかをやる時に、わかりやすくやった感や、手をかけました感を出そうとしてしまいますが、そういうのにビビるとどんどんダサくなっていくので、ビビらずにやんなくて良いと思うことはやんなくて良いし、やっててダサいものはダサいと言おうと、この授業のいつも思い出します。よく引き算のなんちゃら、みたいな事をクリエイティブディレクターみたいな人が言いますが、まぁやっぱこうやって実体験が伴うと実感として全然違うし、良い授業だったなと思うという普通にいい話でした。